労働時間は短くすることだけが正義か?
電通の一件や、社会進出する女性の声、首相官邸の語る「働き方改革」のなかで、「労働時間」「生産性」というワードが頻出するが、その語られ方に対して違和感が大きい。
最近の支配的な風潮には、以下のようなものがある。
- 「パフォーマンス = 時間当たり生産性 × 労働時間」なのだから、時間当たり生産性を向上させ、労働時間は削減すべきだ
- すべての企業は、労働災害を防ぐ為に、現在の労基法を遵守すべきだし、違法企業への罰則は強化すべきだ
いずれも、誤りである。
まず、パフォーマンスを向上させるためには、時間あたり生産性を向上させた上で、労働時間も向上させればいい。なぜ片方なの。
とは言え、「片手を上げれば片手が落ちる」構造なので、その人のパフォーマンスが極大となる生産性と労働時間のポイントを見つければいい。
また、労働災害が起きるのは、月100時間働くからではなく(現在の労基法を遵守していないからではなく)、その人に見合った労働量・もしくは労働の質の限界を超えていることが主要因だろう。従って、いくら現在の労基法を遵守しようとも、労働災害は起きる。正すべきは法律であり、その人に見合った量・質を提供する仕組みでしょ。
本当に、月500時間働いても平気な人もいるし、200時間で自殺を考えてしまう人もいる。こんなに色んな人がいるのに、基準を1つに決めるのは、本当に馬鹿げている。
別に、「限界まで働け」ということではなく、「限界を把握した上で働き方を考えるべき」ってだけの話。
で、上記の話を個人から企業に広げたときに、すべての企業が「わたし一日5時間しか働けません」という労働者を受け入れるとは思えない。
少なくとも、投資銀行・コンサル・法律事務所・監査法人・スタートアップで、そんな人は不要だ。むちゃくちゃ生産性高いならいいけど、ド新人でそんなことは有り得ない。量を質に転嫁させる為の時間的投資が絶対必要になる。
何が言いたいかと言うと、ある程度のパフォーマンスが出せる「適格者」だけ所属する組織は存在するし、その存在を公に認められる法整備をしないと、法律と現実のダブルスタンダードは解消されないよ、ということ。
だいたい電通に限らず広告代理店って激務で有名だし、社会通念上は「適格者だけ所属する組織」でしょ。
従って例の一件で誤りだったのは、
「全員が22時までに退社していなかったこと」
ではなく、
「電通の業務に不適格な人材を適格と判断して採用してしまったこと」と、
「入社後に適格判断を行い、業務量調整する機能がないこと」
でしょう。
結局、万人を同一基準で扱うと、労働災害はいつまでもなくならないし、一方で働きたい人の自由を奪ってパフォーマンスを低下させ、GDPは下がってまいります。